circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

戦争はたぶん、制度としてではなく、精神性として来る、空気がいまあまりに戦争している、それは日本が貧しい国だからだ。国の豊かさは首相の顔を見れば分かるだろう。


鬱を乗り越える、ということが、戦争と平和のなかにどう位置するのかを考えている。戦争は明らかにアンチ鬱、鬱を知ることのない人たちだ。一方、鬱抜けをする、ということは、死から帰ることだった、そこで戻る場所は平和のはずだけど、平和ボケという嫌いな言葉がさしているものではなさそうだ。死地を越えている。


チータ・ペレーを聴きながら、ある意味これはもう一つのペットサウンズ、スマイルかもしれない、と思ってすこし背筋が凍る気がした。鬱の入り口でペットサウンズを作ったブライアンに対して、ジョビンがかれの最も激しい実験をしたのは鬱抜け期だった、ということ、そして、その声は鬱抜け後のブライアンに非常に似ていることに気がついた。音程をうまくとれない、こもった感じの、そのままよたよた勢いで行ってしまう感じの、だが、それこそが素晴らしい。たとえば、この早口が止まらない感じ。
http://youtu.be/e-5_6KLGZFM
きっと、この感じ、ぼんやりと世界の幸せがはじめて始まった感じは、なにか、いろんな形で表現されるべきだし、人も救えるはずだ。