circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

戦争が鬱と自殺という形で降りてきて誰かだけがその犠牲を背負わされる長い長い戦争が続いている。本当の戦争がきてもいまの勝者はやはり戦場には行かない。まず向かうのはすでに戦争中の我々だ。


私はなぜかその戦争を抜けて生き残っている。私が今すべきなのはたぶんまた底まで降りていくことに違いない。私は今の私が到底正しくも輝いてもいないくすんだ存在なのは知っているが、少なくとも死しか合理的でない論理構造から逃れでたことは私しか知らない私にとってでしかないものの奇跡であった。生き残っているはずはなかった。絶望抜けするはずがなかった。私は馬鹿なことを悩んでいたとは思わないし、生きることに希望などまだないけれど、絶望にふたをして生きることができるようになった。君にとっていまの私はもはや豚のような存在かもしれないが、一つだけ言いたいことがある。その絶望は全うであり、病気ではなく、正しいものだが、その絶望を味わわないことのほうが鈍感で愚かだと思うが、それと共に死ぬことしか道がないわけではないということ。それでも生きることは可能だし、美しいものは、、、ないのだけれど。うん、美しいものをすべて見たという感覚、美しいにもかかわらず死んだ人たちのことを知っているからには…生きることは確かに美ではない。だがしかし…