circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

歌詞をググれば、しまおうかな、て書いてある。うそやろ!と思う。そのあとに、どうにもならんし、てくるし、いまバスに乗りながら、どうにもならんし、のメロディがどの音階にのるのか、そう言う感覚もどんどん失われて行くのだけど、全部白でソーソソソファレシ、だろうか、全部白なのにミを中心に回っているのは、旋法だろうか、ちょっと民謡ぽいなかで、どうにもならんしの、しが、シであることを前から思っていて、しかも、そのシに上がると言う、ほんとうにレファソシであれば、やっぱり投げられ方はんぱない感じする。あのアルバム、京都感と言う意味では(どういう意味や)、あれだけは好きだったの。言いましたね、謎の京都系、とかいうの。なにそれ、ておもったけど。なんとなく気だるいやつ。わたしも気だるいからなんかあれですけど。ゆとりなら、さとりなら、それ全部京都系じゃないですかみたいな。京都町内会バンドのことを思い出して、鬱の人が歌うドキュメンタリー性とか、そゆの、もっと大事だと思う、とか思う。近くの小さい山登りして帰ってきて最後にコーヒー飲もう、ていうだけの長い長い歌。