circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

見えないところから見えないところへ、心という不定形のものが、網目の向こうに網目状に絡んでいて、恐ろしい形、美しい形、くるくると。


近江八幡、ということばをつぶやき、竹富島の星空のしたで、その土地のことを話しあったひとは、やはり不定形に、海へ漕ぎ出して離れた島へいったり、若くして自殺したり、綱渡りのように生きていたりする。精神病院からアトリエに通うひとのはなしを読んだ。何かを犠牲にしなくてはならないならばそれは精神の安定なのだろうか?わたしは、もう二度とあの永遠に思えた絶望にもどりたくはない。自己表現をある程度諦めたところから恢復はスタートしているのかもしれない。


恢復と転落の瀬戸際のときに、本当にたくさんのひとにあった。僕の人生であんなに社交的であった時代は二度と無い。すべてのひとが美しく見えたものだ。話してくれる人たちがみな魅力的に思えた。無理由にすきだった。話すということはイコール優しさだった。わたしはあの数カ月のために生きてきたのだと思う。自己表現を諦めたあとに、だれにとってもくだらないかもしれないが、わたしから半径数メートルのなかでの黄金時代がやってくるとは、夢にも思わなかった。


病んでいるときに、病みのわかる病んでいないひとに出会えたことは本当に大切なことだった。わたしは、そうなりたいと思う。表現は、おそらく、天才がしてくれる。ぼくはもつと偶然性にいきたい。する必要も無いのだ。