死ね、といわれた時に、お前こそ死ね、と戦う人間と、傷ついて死ぬ人間と、大きく分かれるのではないかと思う。
不条理な怒りというものをぶつけられたときに、それが不条理なのかどうか分からない。わたしがどこまで悪く、わからない。
わたしを縛り付けている見えない綱が、わからない、見えない、わからない。
なぜ動けなくなるのか、なぜ言われたまま受け取ってしまうのか分からない、目の前に絶望だけひろがって、どうすればいいのかわからない。傷つけられがなくなったときに慣性から自傷がはじまる。
自己肯定という感覚が地面についた形でどうしたら得られるのだろうか、死ぬまで、得られないのだろうか。悲しい。悲しい。悲しい。