circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

5/20 According to Emerald Dragon

誇りのない人間なんて最悪だ。
(はじらいのない人間も)

誇りのためなら死も覚悟せねばならない。

人間は誇りを持って生きなければならない。

さもなければ死んだ方がましだ。

人間は今生きている。

そのもっと核心を、真実を
誇りに思っています、と
言えるか。

自分は自分なのだ。

死がさけられぬものならば

堂々とそれをうけいれる。

そして自分を信頼してくれている仲間や友人を裏切ったり
傷つけたりすることを強いられたなら、むしろ死を選ぶだろう......。
卑怯なまねをするよりも。

今はただ目の前の任務を実行するのみ。
さけられぬ運命には目をとじる。

人間は死んで全てはおわる。
物理的に。又の事実として。
しかし、人間は死があるから生に誇りをもつ。
不死の人間はクズだ。
晩年の人間は悟りに近い物をもっている。
それも死というものがあるから。
死の向こうに何かあるから。
事実的に死んだら全てなくなるが、
真実はそうではない。
真実は...死によって生物は生前より、
もっと次元の大きいものになるのではないか。
だから生に
誇りをもっていられるのではないか。

全ては最初からこのように定められていたのだし、
そうでしかありえなかったのだ

…この世界は...善と悪とにまだらにそめられ、
二つの力が常にせめぎあっている、そういう場所だ。
しかし、悪が最終的に勝利することはない
なぜなら、憎しみや敵意や、力ずくで他人を支配し、
欲望をとげようとする心にくらべて、
勇気や知恵や人を思いやり、愛しく思い、
いざとなれば自分を犠牲にしても愛する者たちを
救おうとする心、それらの方が、いつも、ほんのわずか
優勢だから。

(後記:たぶんすべて引用)