circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

藍色の人
冬に生まれた
曇り空からときどき烈しい光量の太陽が
雪の服を着ているような
さむいでせう
あたたかい親とあたたかいお兄さんと
あたたかい南向きの家とあたたかい庭と
あなたのいえにはいつも音楽
お兄さんがピアノを
お父さんがチェロを
藍色の人がヴァイオリンを
さむいでしょうと
藍色の人は愛されて育ち
薄い愛の服をそうやって着せられていったのか
藍色の人自身が自然と着重ねていったのか
自己主張をしない人でした
いいえしました
まれに、恐ろしく烈しい自己主張を
それいがいはいつも優雅で
落ち着いた色の服をきて
近くへ行くといつもうつくしいにおいがして
だからわたしは藍色の人はたぶん
本当は人間ではなくて
天の使いだとおもっていました
藍色の人は天からいろいろなものをわたしに持ってきました
ルドンの絵やシューマンの音楽や
小さな光る石を
わたしは藍色の人になにかを渡すことができたのでしょうか
記憶はあいまいになっていて
藍色の人はとなりにいるときですらすでにあいまいだったから
いまもまだ天の使いをしているんだろうか
もう人に戻ったんだろうか
「ベルリン天使の詩」の天使みたいに、人に戻ったんじゃないだろうか
藍色の人があいまいで人間ではないように見えたのは
18歳という子供でも大人でもない季節の変わり目のようなところにいたからで
だから存在自体が薄まっていただけなのかもしれません
いま藍色の人の藍色はもっと濃くなって
美しい「ひと」となってどこかで生きているのでしょう
さようなら
 

宇宙の向こうに花が咲いたようにあなたは笑った
 
 
いま雲ひとつない秋空の太陽みたいにまぶしく笑う人がいて
わたしはその人を秋空の人となづけてみた
秋空の人はたぶんもう天の使いではない
でももう雲は流れ去ってそこに在る
あいまいではあるけれど
気がつけばそこにいるという出現をするけれど
光を隠すことはできないからそのうちすぐに分かる
いなくなるとわたしのまわりがすこし暗くなるのを感じる
わたしも秋に生まれた
秋に生まれた人の
秋空の透きとおり方、天が高くて、でも晴れているときは寒い
寂しい、寒くなっていくし
昼はだんだん短くなっていって
友だちがまるで減っていくような
そんな思いを赤ちゃんのときにさせられたんじゃないかって
おもうこともある
秋空のひとがそうなのかどうなのかはしらない
光がまぶしすぎてわたしのうつくしくないすがたが
わたしもまた秋だからたぶん内側を隠すことが出来ない
秋空の人は聡明だから
近づいたわたしのうつくしくない内側を
秋空の人の光量が隠しようもなく照らすのを観察するだろう
だからわたしは逃げるのだ
 
わたしはどうしていつも
わたしにふさわしくないひとに恋をするのだろう
どうして好きな人に対して劣等感をいつも抱いているのだろう
わけがわからない
 
からしばらく忘れることにする
忘れたふりをすることにする