circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

僕は、男というものを考えます。女に生まれたかった男、というものを考えます。


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3年前だっけ。これを読んだのは。君と僕がある場所にいて、君がこれを書いていたのは。いまだに忘れられないことばだ。


考えます。僕は考えます。わたしは考えます。あたしは考えます。


わたしは最近、わたしのなかにすんでいる二人の少年と少女のことを考え続けています。それだけでとても幸せになります。わたしのなかにすんでいる二人はいつも寝ていて、名前を読んでも起きてくれません。それでも、考えることだけで幸せになります。名前をよぶこと。心の中で。わたしはいまだに二人の顔もよくわからないのです。なんとなく、なんとなく。


茫洋としています。あいまいとかぼうようとかがすきです。僕は、男というものを考えます。女に生まれたかった男、というものを考えます。でも女に生まれ変わる、男のことではない。男でありながら女にもなろうとする男というものを考えます。好きな人はいます。女の人です。だけどすきって何って思います。ねえ、すきって何。かんちがい、おもいちがい、理想の押し付け?男でありながら女にもなろうとする男の、なろうとする女のモデルのこと?いえ、ちがいます。男でありながら女にもなろうとする男が女になれれば友達になって楽しく冗談を言い合える女の人のことなのです。弱いときに助け合い、弱いところを認めてくれる、強いところをほめてくれて、伸ばしてくれる、そういう女の人のことを、女に生まれたかった男、というものは、愛するのでしょう。僕は好きな人のことをもう一度考えています。あの人は、たぶん、僕に対して閉じるだろうと思います。直感的に。なんとなく。いえ、すでに。もうだめ。


つまり失恋と言うことなんだけど、悲しいんだけど、悲しいという気持ちは哀しいという気持ちと何かがちがって、わたしはあの人をやっぱりしばらくすきでい続けるんだろうなと直感で思うのですが、それはその人が美しいからであって、たぶん鑑賞物なのでしょう。美しくて切ないです。美しいのに生きている、なんて、切ないです。へんだ。すごくへんで、すごくふこうへいだ。


哀しいひとをひさしぶりにとおくから見ました。そのひとはまた美しい人なのだけれど、わたしのすきな人とは違って、いつも憂いを帯びています。憂いが顔に張り付いているように、笑うときにも儚いのです。それは正しい美しさなので、わたしはただ切なくなります。ふこうへいだとはあまり思わないです。あの世の人だな、とおもって見ます。ガラスのようにうつくしいです。


ふこうへいに美しい彼女は、すくすくと美しいので不公平です。あんなものがあるだなんて許せません。大好きだ。だけどこれは一方的に好きなのであって、いい加減あきらめろと言うのです。そもそも僕は好きな人が多すぎて困ります。でも恋しているのはその人だけなのです。焦がれているひとはもう少しいるけれど。えっと、それってなにがちがうんだっけ、といわれると、リアリティの問題で、その人はこの世の人なのです。この世のくせに美しいなんてどうしろと言うのだと思います。眠り姫が起きていきなり料理を始めたりビジネスに成功したりするような感じです。アンバランスです。と感じているわたしの感性こそがアンバランスなのです。