circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

ぼくらは長い長い間映画館にいた(H口さん、その恋人さん、)また、乾いた戦地で...これから死ぬことになる兵士たちを見ていた、彼らは映画の最後まで死ななかったが、映画が終わった後に死ぬことになり。映画の最初にそれを弔うか(しかし何も言われない)のようにメシアンが流れるという、しかしその長い長い映画の中で、何度も流れる武満の「波の盆」http://www.youtube.com/watch?v=assN4do9TSoは、ソクーロフにとってどういう意味があったのか、分からなかったけれど、これから死ぬことになる兵士たちへの愛の表明のようにやさしく響いていた、乾いた茶色い戦地の中で...長い長いこと映画館にいた。人は直接は死ななかった、たぶん、でも、その後に、死んだ。全員死んだ。「波の盆」をその後で見たときに、たしかにこれはこのドラマのための音楽だと思ったけれど、いま聴きなおして、これはカザフスタンの砂地の音楽でも同時にありえるという、ことにやはり気付いた。映画の力。ハワイでもあり、カザフスタンでもある。お茶の水でもあり、横浜でもある。横浜で、ハワイの夜に灯篭が流れていくなか、この音楽が流れて、それは明らかに、武満にとってのマジな反戦態度表明であって、わたしはとめどなく泣いた、あまりにもそれはマジだった。人生でのメロディメーカーとしての全てをここに使い切ってしまったような。