circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

えっとつまり。。。たとえばオーケストラ編曲版(組曲バージョン?)じゃなくてドラマBGM版(オリジナル)の波の盆なんだけど。。。武満ってオーケストラで弦楽器がみんな同じ事をすることにグロテスクさを覚えた人じゃないですか、僕、あれ、チェロを学生オケのなかでひいていたもんで、ものすごく共感するのね。学生オケのなかでチェロ弾くような人はまあたいてい、みんなで音程を合わせるとか表現をあわせるとかそういう訓練に適性のあるひとなんだろうけれど、僕はほんとだめでしたね。個人が感じたままに弾くと怒られるの。そこはおもいきりアクセントでしょっていうことをするとだめだったり、ppはみんなでやらないとだめだったりとか、そういうのがものすごく気持ち悪くて、つらくて、やめた、そしたらそれが気持ち悪いって言ってくれたの武満だけだったの。本当に、びっくりした。びっくりしたよ。波の盆の、小さいオーケストラでスタジオで録音しているこれ、岩城さんが人生で一度だけ泣きながら指揮したというこれなのだけれど、武満がマグマ時代に全員が違うことを弾くという実験をしなかったら出てこないメロディラインじゃないかと思うの。0:21でビオラか2ndでやってる「しらそら」とか、ぜんぶの動きに和声的な美しさ、以上に、うたが宿っていて、さらに、だからこそ(みんな違うことをしなくちゃいけない)のことが複雑な和声を要請して、それがみんなのいろんな気持ちを、複数性を保ったまま(←ここ強調)、ひとつの方向へうたっていく、たぶん彼の一番の理想が、なんというか僕には、波の盆で一番感じるのです。それは、武満が、おそらくあまり合わなかったであろうと僕が思う倉本聰脚本のためにつけているというこの事実が、後ろ盾してくれるような気がします。うまく言えないんだけど、ドラマ自体はあんまりうまい見せ方でないところ、多いです。ださいとこもありました。でも、それすら複数性のなかに取り込んでしまった、大きさが、この曲にはあります。そんな気がします。