circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

感情を浪費すると、睡眠時間が減り、少しずつ生きるのがしんどくなる。書くことは感情の浪費ではないと信じたいのだけれど、書くと大体なにかが起こってしまう。承認欲求なのだろうか。私探しから承認欲求への移行は、インターネットに何かを書くということを始めた時に起こっていて、何しろ私は私探しをインターネットで始めていたのだから、救いようがない。私が私を見つけるゲームを見せびらかして何が生まれるというのか。自分の書きたいものをしっかり書くということは、昔の人たちは孤独に、あるいは少なくともクローズドサークルで完成までは持っていったはずで、いや、連載ということで生きていた人たちもいたのか…ファンからの手紙が嬉しいと言っていた人もいたな…