circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

Jean-Luc Godard/ パッション、ウイークエンド

パッション: ミリアム・ルーセルの表情と身体と佇まいの美しさが凄かった。冒頭の飛行機と切り返しが美しかった。フォーレのレクイエムの使用は安直に感じた(映画に生きていない、美しすぎて映像が引き摺られている。負けている)。冒頭のラヴェルの左手のほうが圧倒的に良かったと思う。あのながいながいクレシェンドの意味が初めてわかった。ボレロに繋がっていくのねと思った(ボレロとほぼ同時期だったみたい)。あとはイストワールには意味がないと言われてしまうともう物語を追うこともできないので、誰が何なのか全く分からなかった。分からないでいいのなら分からないでも見られる親切設計にしようというほど他に持続する魅力が満ちているわけでもない(ぶった斬るから、ずっと集中することが難しい)。やはり人の顔と役は覚えなくてはいけないじゃないか!という、言ってることとやってることが違う不条理さは感じてしまう。照明装置の足元が曖昧なところで踊る女が美しい。階段、高低差をどう変えていくか、そこでもやはり女性たちの身体が美しい。とくにアングルの女性の裸体の背骨をあそこまで美しくとられるとなにもいえない

 

ウイークエンド: テニスラケットで殴って来るのかと思いきやボールを打って攻撃して来るギャグがすごく良かった。銃を撃ちまくるより面白い。エグい映像とかカニバリズムとかはゴダールに求めたいものではないな…(そっちのスペシャリストがアメリカとかにもいることだし…)。長すぎたんじゃないか。最後のゲリラのあたりはもう付け足さなくてよかったんでは。車を失って人に火をつけたらもうやり切った感がある。ジャン=ピエール・レオーが凄すぎて本当に真面目な顔してふざけるのが上手い人だなーと。電話ボックスで歌い続けるシーン最高。ゴダールのドタバタ暴力シーンはいつも辟易するのだけど、レオーがやるとゴダール本人がやっているような説得力がある。真面目な顔がすでに不遜だから。そういうことか、と思う。レオーがいなくなったら間延びしてしまった。