circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

J-L. Godard/ Prénom Carmen, Le petit soldat

カルメンの方は苦手なタイプのゴダール。常に動きが痙攣して、音楽も痙攣しているので、逆にそれがテンポを一定にしている感じを受け、眠くなってしまう、ただの寝不足か。カルテットの撮り方がすごい。演奏者のテンションが普通ではない緊張感(頭の振り方)。ゴダールの俳優っぷりはむしろ喜劇役者みたいで、チャップリンだとか、キートン(バスター・キートンと書かれた本を持つ誰かの手が写っていた)だとか。彼の後ろで常に「記録します」と言い続けるギャグのための秘書(テロのなかでもメモを取り続けている)。

 

小さな兵隊。アンナ・カリーナに捧げられた、最後の作品(イメージの本)のなかの数十秒間のことが忘れられずに、確かめるために見に来た。驚いたことに、イメージの本に引用されているシーンは単なる引用ではなかった。イメージの本で鳴るタイミングであの美しいモーリス・ルルーのピアノは鳴っていなかった。さらにセリフすら、違うシーンのセリフ(ブラジル…)が映像に重ねられていた(シーンのセリフが丸ごと違うシーンのものに入れ替わっている)。つまりあれは小さな兵隊ではなく、あれ自体が小さな兵隊リミックスだか小さな兵隊ソニマージュだったわけで…自分の作品だからそこまでしたのだろうか。他の人の引用ではそこまでしていないはずだ。唖然とした。そもそも、なぜ他の作品でなくこの作品だったのか。アンナ・カリーナを最初に撮った作品だからだろう。それ以上に、なんだろう、ゴダールは自殺についてこの作品で語っている(女は飛び降りるが男は腕を切る…女は偶然に任せてしまうが男は確実に死のうとする…女の目的は生であり、男の目的は死である…)。そして彼はより確実に死ぬために他者の力まで借りた、それを見越しての引用か?アンナ・カリーナとの「ブラジル」亡命についてわざわざそれを話していないシーンで入れてきたのは、アンナへの強い思い入れからか?いまふたたび駆け落ちしようとしたのか?(下衆の勘繰りであろうか、ミエヴィルはそれをどう見ていたのか。ヴィアゼムスキーは彼の妻はみんな同じ名前だと指摘する。女の子の名前はみんなアンヌっていうの。) 前髪のない、まだアンナ・カリーナに見えない笑顔のないアンナ・カリーナをみながら(電話ボックスのシーン)、心が痛くなった。美が発見される瞬間がこの映画の中にあったためだ(後で前髪を切り、あの笑顔を見せる)。Glandという無人駅みたいな駅とプレートが映される。ひょっとして、と思って覚えておいた。今調べたら、Rolleの隣駅だった。

 

イメージの本の一節

https://youtu.be/Jxtd6_YY39Q