circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

関係代名詞もなくあわよくば主語さえない日本語に翻訳される西洋語は係り受けが形容においても述語においても信号を送り合っていて、係り受けがないかあるとなればどちらかを省略してしまおうと目を光らせる日本語はいつも西洋語のロジックを夢に輸入してしまっていたのではないか。わたしが夢見るのはあったかもしれない西洋語の文献の翻訳としての日本語を夢見ること、あるいはそのようなあり得たかもしれない西洋の文献の翻訳の夢として日本語を書くことで、それは最初から誤訳されているか、本人は正しく訳しているつもりなのだけれど誤読の可能性に満ちたものになる。わたしは夢の輸入業者を名乗りたいし、わたしは誤読されたい。