circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

みゅあー、うっずという、美しいたけみつのきょくは、音が消えること、聞こえなくなる瞬間を聞くこと、そこに立ち上がってくる新しい音のおどろき、こだま、を歌っていて、つまり、遅ければ遅い程よい、という、たけみつの、しゅうていかの時のコメントを、そのまま思い出す。


波照間島をぐるぐる歩いて、たけみつをききながら、あの、偉大なゆっくりさを聴きながら、わたしはニートで、ビョーキで、くじらの影を冬の海に探していた。cさんがすすめてくれて、おそらくたけみつもよんでいた、もーびぃ・でぃっくを、ずっと布団の中で読み続けたひびがあった。波照間にもどる。ひとりで、島をぐるっとあるいて、パステルを持って、なんまいか気に入らない絵を描いた。絵を描くことは、カウンセラーの先生に勧められた。毎月、自殺と芸術の話しかしない、私のような人間にあって、しんどくないのだろうか、たぶん、たくさんの人が、辛い話をして、きゅうにいなくなる。元気になったのか、自殺したのか、わからないまま。死んだ人がいないわけがないと思う。わたしは、生きていて、先生に今月のパステル画を見せるために生きていた。会社から見放され、家に帰ってからは、見せる人がいなくなった。かくしはもともとひどいものが、どんどんひどく、なった。そういうのが、わたしの青春であった。

とっぽーん、とっぽーんとあるいていく。とっぽーん、とっぽーんと
あるいていく。やまおくのもみじ道。登下校のランドセル。とおくの
まちの散歩道。ときにはスキップで。ぐるぐる。ぐるぐる。しゃぼん
玉、しゃぼん玉、われるわれる。ぐるぐる、われる、ぐるぐる、われる!
ぐるぐる!WARERU!しゃ




ときの模索。生まれてから今の私まで。今から生まれる前まで。




とっぽーん。とっぽーんとあるいていく。