circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

音楽のことなど話しても、と思いながら、音楽のことを話すことしか思いつかない。柄にもなく紅白を見ていたのは、やっぱりなんだかんだいってあまちゃんがどうなるかが気になったからで、大友さんちっとも映らないなあ(べつにいいのだけれど)と思いながら見ていたのだけれど、結論は鉄拳がなんとか滑り込ませたギャグが相当おもしろかったということなのだけれど、ぼんやりスマップを見ていて、じょいじょい歌ってて、かとりさんの冒頭の音は何が起こっているのだろう(どういう音程の曲なのか)、など思いながら見ていたのだけれど、http://www.dailymotion.com/video/x10cqe6_smap-joy-2013-05-28-show-at-k2-edit-in-480p_music の0:31のとこ。そしたら、なかいくんのソロというのがあるのだなあ、と思って0:42、そしたら絶対に聞いたことのある高音で旋回する電子音が聞こえて、絶対に聞いたことあって、これは、これは、真綾ちゃんじゃないか。「走る」じゃないか。と一人で興奮したのが紅白の一番の興奮でした。http://www.nicovideo.jp/watch/sm13304132 の0:34。菅野さん使いまわしの術。走る、と思ったとたんに、どうしようもどうしようもなく、18歳、上京、どこまでも続くと思われた空、そういった頃のことを思い出してしまって、いまこうやって聞きながら、僕は受験勉強をしながら、1つ上の高校三年の坂本さんのラジオを聞いていたころのこととか、もう、噴き出してしまって、ああ、おんなじ空気を吸って大きくなっている歌手というのはこの人しかいなかった、と思っていた。2:42の歌い終わった後の息、「見えなくなったり」の「りぃ」のあとの、息、彼女だけしか出せなかったそれ、しかもこの後彼女が出せなくなったそれ(彼女はこの後ヴィブラートという悪貨、彼女の声のあり方を一番生かさない道を選んでいった、と思っている)。えっちゃんの声を聴いたとき、笑いながら歌う人だと思った、と船長が言ったのを僕はとても覚えていて、そういう感覚を僕は「走る」のころの真綾さんに抱いているなあ、と思う。18というのは一度しかないから、仕方ないのかもしれないけれど、この共時的感覚を、アイドルに覚える(たぶん彼女もアイドルであった)というのは、AKBとかももクロちゃんに共感をもうひとつ覚えないわたし(嗣永さんは別枠)も、彼らと同じような感覚をきっと持っていたんだろうと思う。ないと思うけれどいつか坂本さんに会えることがあったら、DIVEは心のアルバム、というだろうし、それがDIVEだけだった、というのがなんだか僕にとってとても大切なことのように思う。チャットモンチーのえっちゃんに会えたら同じ意味で「赤いざわめき」とぼくは言ってしまうだろうけれど。

あふれるような愛ある世界
言葉がなくても通じ合えるの
すべての朝がそこから始まり
時がすぎても終わりは来ない
I will catch the lovely world

ここで彼女は彼女の、ヴィブラートがないゆえの、すこしだけ外れる音程が、これ以上もなくうまくいっていて、ほんとうに笑いながら歌っているような、表情が手に取るように見えてしまって、すこし悲しくなるぐらい。すべての「あ」さのあの揺れ、そこ「から」の、狙いすました低めの「か」からずり上がる様子、すべてが、楽しそうで、息を「はっ」と吸ってからのI'll catch the lovely worldのworldの言い放ち方が、それだけで、楽しい、と彼女が言っているようにしか聞こえなくて。
このアルバムの岩里さんの「光」という言葉やら、朝という言葉やらの洪水が、どうしようもなく18の僕に降り注いでいたし、そこから出ていくことはたぶんないんだろうと思う。美しいな、と思う、本当に、美しい三角形だったし、それはきっと壊れざるを得なかっただろう、(完璧なものはすべて壊れる)それでも、彼女はラブリィな世界を掴んだんだと思う、掴もうというあの楽しい気持ちがあれば。