circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

くまモンは今日も驚いているか
そも親と言われている脚本家はただ熊本サプライズというあまりクマ好きなわれわれに認知されていないありふれたコンセプトを考えただけで、本当の親はそのクマさぷのロゴを考えてと言われたデザイナーであり、言われてもないのにロゴと一緒に提出したキャラだったとのことで、計算されていないついでのなにかを、おおごとにできうることに世界の美しさがあると思う。クマ好きのわれわれは。ちなみにくまさぷのロゴは赤いびっくりマーク(これまたほぼすべてのクマ好きのわれわれは知らない)だがクマの赤い頬はそのびっくりマークの点からきているものとおもわれる。目を見開いているのはサプライズの驚きからだというが、びっくりしているようにはあまり見えない。びっくりさせてやろうという意気込みは感じることがある。クマの本当の勝利は計算されていないモン語尾にあったのではないかと思う。クマ語尾はすでににちゃんにいる。ヤダモンのモン語尾は本当にわがままのモンであったがわが熊の語尾においてはもはやわがままの意味を失っている。しかし同時にわがままを連想させている。わがままを連想させるのに言っていることはまったくわがままと関連しないというシュールさを突き抜けるところが新しいとおもわれる。これは計算されてない、ただの副産物としてくまもとのもん、というのからくまもんになり、もんでおわるからとりあえず語尾にしただけ、のだけなのにそれが大勝利、というのは生きる価値のある世界の可能性をやはり示していると思う。