circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

戦うことが大きな声を出して恫喝してくる相手に大きな声で正しいことを主張し返すことだ、と半沢直樹を見ていると主張しているように思われてきて、それが僕をうつに陥らせる原因だった。古い銀行体質を変えたいのであれば、本来、同じ古いやり方、大きな声を張り上げてその大きさで正しさを体現化する手法を取るべきではない。あのドラマは僕に、主張するならば大きな声で相手に一言も言わせないように話せ、という、もっとも嫌う古いやり方でしか、物事を変えられないのだと迫ってきた。それは、大いなる間違いだと僕は思う。正しいことこそ、小声でも通るべきだと僕は思っている。恫喝のしあい、脅し合いで勝ち抜いて、それが爽快だというのであれば、もうこの世に絶望するしかないではないか。