circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

いつも一番不思議なのは、世の中に意地の悪い人や、自己主張ばかりして他人に主義を押し付ける人や、自分が許せない理由で他人を糾弾する人や、自分勝手な人がたくさんいるように思われるのに、自分がだれかにとってそうであって、


その誰もが感動する映画などがあって、たとえば土下座を強要した女は、それなりに半沢を面白いと思ってみて、手に汗を握って、見続けただろうということで、その中には勧善懲悪があり、おそらくは今回の県では誰から見ても悪である彼女は、それでも半沢の悪の側に立たず、勧善の側に立って見たに違いないということだろう。エル・スールを一番好きな映画だという殺人鬼がいてもおかしくはないし、いつ人は殺人鬼になるかわからない。

「あなたは美しい人間の仲間入りをした」、と産まれた赤ちゃんのためにビートルズが歌っている。
僕は美しくなる分かれ道を持っている。違う分かれ道も。
その分かれ道がうちがわからか、そとがわからかはしらない。
化粧水の問題か、精神の安らかさか知らない。
たぶん大切なのは、感性を大切にしようという認識だと思う。
認識がある限り努力を今後するところの可能性がある。


僕は美しくなる分かれ道を持っている。違う分かれ道も。


まず感性がくる。つぎに知性が来て、最後に感性で終わる。
智に働けば角が立つが、情に棹さして流されれば本望だ。
流されないように知性は存在する。けれど、それは支配しない。知性は感性のためにある。