circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

論理は数式でまっすぐ書かれ、僕が見つけなくても50年後に誰かがそれを見つけるだろう、50年前に誰かが見つけていただろう。僕が生まれなければ生まれなかったものではないだろう。僕は僕が生まれなければ生まれなかったものを残したかった。それは一つには言葉だと思った。僕が生まれる前にも、後にも、ここに書き並べたものと同じ言葉の選択、リズム、色の文章は出てこないだろう。つまり、自分しか残さなかったもの、というものを残そうとする、文章を書くということ、あるいは芸術を夢見る事、それはだからこそ死に直面する事になる。どうして死のぎりぎりまで追い詰めて、自分しか生み出さなかったものを生み出さなくてはいけないのか。それだけの犠牲を、誰のために払っているのか。それは多分未来の人類のためではなく、自分の達成感のためなのだろう。追い詰めなければ、自分の肉体から叫びは現れてこない。でも、そこまで、みんな不幸にならなくてはならない?不安にならなくてはならない?不安だからあなたなりの叫びを叫ぶのだし、死が近いからあなたの一番の笑顔が現れるのだろう。そんなところへ私は足をどうしても踏み出せない。死ぬのが怖い。怖いんだ。