circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

0315最後の診療

大学の診療所へ。最後の診察はブッチしなかった。T先生すみませんでした。お世話になりました。もうこれで大学の用事はほとんどなくなってしまったな。修了式ってのがあるらしいけれど。
 
診察室で待っている間に、並べられたAERAに手に取った。ノエル・ギャラガーが表紙の号があった(ノエルがAERAの表紙だなんて、ねえ。年取ったなあ、というべきか?)ので手にとって、インタビューを見てたら、俺はワーキングクラスヒーローだ、みたいな感じで、この人はまだジョンになりたいのかなとおもった。次に、宮崎あおいが表紙の号(2006.2.6)があって、エリエリについてしゃべっているかなとおもったら、しゃべってなくて、海外旅行がすきとか、風景を撮るのがすきとか喋っていた。何気なく目次をめくっていたら、「笹野みちる」の名前が目に飛び込んできた。まさかAERAでこの名前を見るだなんて。ああ、啓示だ、とおもった。この診察室に来るたびに何かふと不思議なことが起こる。僕はユング、というか河合隼雄さんにやられている(「無意識の構造」ISBN:4121004817り、「魂にメスはいらない」ISBN:4062560070したりしていた、なんかSiestaさんに笑われそうで怖いんだけどさ)ので、こういうシンクロニシティーのようなものに非常に弱い。笹野みちるというひとは、僕にとってはアイドルバンド「東京少年」の笹野みちるでも、レズビアンとして明るくカミングアウトして世の中を騒がせた笹野みちるでも、「ささのみちる」としての笹野みちるでもない。東京から京都に鬱病で落ち武者のように帰ってきて、仲間たちと自己治療みたいに(ではないだろうかと僕はおもっている)「京都町内会バンド」という非常に気の抜けた名前のバンドをはじめた、そのヴォーカルとしての笹野みちる、である。高校時代、同志社の友達からほい、と渡された、京都町内会バンドデビューCD

HIMAGINE

HIMAGINE

(いうまでもなくジョンレノンのIMAGINEにHを足しただけのタイトルである)が彼女を知るきっかけであり、実は終わりである。それ以上僕は京都町内会バンドを追わなかったし、笹野みちるというひとも追わなかった、ただ、このCDは僕の奥底に突き刺さっている。なぜ同志社の友達からそれを渡されたかというと町内会バンドのギターの原田さんが同志社の先生で、彼女(その友人)と仲がよかったからである。ものすごい鬱CDだとおもった。曲は明るいのだけれど、ほとんど長調の曲だったとおもうけれど、笹野さんの曲にはなにかぽっかりとしたものがあった。毒とはいわないけれど、ぽっかりとしたなんともいえない「どこにもいけなさ」があった。「京都系」と自分で言い出したのはひょっとして彼らが最初なんじゃないかなあ。ダルで、気が抜けていて、ちょっとベクトルが内向きな感じ。くるりの「ファンデリア」のスペシャルサンクスに笹野みちるの名前があったような気がする(後記。シングル「東京」でした。しらべてみたら。)。HIMAGINEが笹野鬱アルバムだということは、聞いていてなんとなく気がついたことだった。アルバムのブックレットは鴨川で、僕は鴨川を自転車で走りながら、わざわざ場所を確かめていった。それぐらい、僕はこのアルバムが好きだった。このアルバムの笹野さんの曲が好きだった。「たんぽぽ」という曲があって、このなかで笹野さんが歌うのをやめて独り言をつぶやく。僕はポエトリーリーディングという言葉が嫌いなので、朗読という言葉もぴんと来なくて、読むとかつぶやくとかいう言葉しかなくなってしまって困るんだけど、オフィシャルホームページttp://www.obu.to/の歌詞のところにはポエトリーリーディングと書いてあるから、尊重したほうがいいんだろう。

道端にはいつくばった 西洋タンポポを見ながら
なんだか無性に泣けたから もう少しこの場所にいよう
確かな自信とは無関係に
とぎれかけたものをつないで暮らそう

例えば手紙の返事を書いたり あいつの顔浮かべたり
お客さんとの出会いは今日しかないって思ってみたり
ああ そんなような事から始めてみよう

(poetry reading)
習慣が大事だという 毎日の習慣が 何をすればいいのか
頭のきわめて先っぽでは 何かが思考をかすめるが
本当にそれをすべきとか  してみようという意欲が全然起こらない

毎朝8時に起きてバイトに行って 
帰ってきて5時から机に向かって 2時間なにかを書くとか
そういうことをすべきだろうか
何かを書きたいわけでもないのに

そして 2時間後にはごはんを食べて 
それから何をすればいいのだろうか
人はこんな不安をやりすごす術を覚えて
どうにかくり返していくのだろうか

何も起きない 何も起こさない 何も起きなくてもいい
そんなような人々がこの世にはきっといっぱいいて
でも みんな何かをしているのだろう

まずは体を動かす事 と定めて
日曜日 ふと仁和寺八十八ケ所巡りをしようと思い立ち決行
たぶん2時半ぐらいに着いて4時前には下にいたから
1時間ちょいで山登りをしたことになる
何かを感じなきゃ などと言う事は全て忘れて 
ただがむしゃらに歩きたおす
汗だくになる でも気持ちよかった
なんとなく家に帰ったら友達にTELしてもいいなぁって言う
LOVEな気分が沸き起こったくらいだ

山道ですれ違うおじさんおばさんが「こんにちは」と言ってくるのに最初少し面喰らったが
向こうが「こんにちは」と言ってきたら  「ちわ」と返すと言った感じで
恥ずかしがりながら応えていたら 徐々に こっちから
「こんにちは」と言ってみようと言う気になって
「こんにちは」と先に言ってみると
大抵の人が 「こんにちは」と気さくに返してくれる 
ちょっとうれしい
唯一ヤンキーのでかい兄ちゃんに無視された

途中ですごく喉が乾いてきて 下に降りたらグリーンティーのようなものが飲みたいと思う 
どうしてもグリーンティーだと思う
行きしにチェックしていたきぬかけの道沿いのサテンに行ってみようと思いながら歩く
汗だくの帰り道に寄った地下1階のその店は「山猫軒」と言う店で
店員の反応がちょっとにぶいけど なかなか感じのいい店だった
メニューに抹茶フロートがあったので飛びつく
それと洋梨のカスタードケーキもふんぱつ
おいしい かなりグーだ
こんどバイト代がでたらあいつをさそってランチを食べに来ようと思う
ああ そんなような事から始めてみよう

心にもない事ばかり 口にすることになれ過ぎて
どっかに何かが消えたから 当分空っぽで居よう
曖昧なイエスを手放して ごねながらぽかんとして居よう
ごねながらぽかんとして居よう

800円のスパゲティーでも食べに行こう

このポエトリーリーディングのところを、笹野さんは「これでもか」というぐらいの京都弁で読んでいる。いま、ひさしぶりに読んでみて、ああ、僕はかなりこれの影響を受けているのだな、気がつかないうちに、とおもう。「どうしてもグリーンティーだと思う」とか、こういうフレーズはなんだか僕はよく使う。かつて僕が「雨の山道」、という詩を書いたのも無意識下にこの詩があったのかもしれない(まったくあのときは思い出しもしなかったけれど、今読むと似ている。「こんにちは」とか)。AERAの話に戻る。彼女が「明るいレズビアン」というイメージで世の中をわかせた後、なぜか鬱になってしまう、京都で母親と絶交してしまう、彼女の母親は有名なフェミニストの代議士であった。そしてフェミニズムを徹底するとレズに至らざるを得ないというのが彼女の理論的な到達点だった、みたいだ。母に愛された記憶がない、というようなことを言っていた、だけど母から愛されなくても自分が自分を愛せばいい、今のわたしはわたしを愛することができるのだ、というようなことを言っていた。今はもう鬱から立ち直って、東京でパートナーとカフェをやっていて、厨房に立っているらしい。
 
僕はまだ鬱から立ち直らずに、この診療所から出て行こうとしている。そのときに、鬱から立ち直って、親との相克からも立ち直って、たぶんもうあの鬱なポエトリーリーディングは素ではできなくなってしまっただろう、笹野みちるという人に、そういう状況下で、もう一度出会うことができて、僕はなんだかとても幸せな気分だった。
 
新入生を迎える立て看板の並ぶキャンパスの中を、デュリュフレのキリエ・エレイソンの海に溺れながら、歩いて帰った。今は研究室。はやくこの研究室ともおさらばしなくちゃ。