circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

  
高校時代のわたしに死への欲求はあったろうか
たぶんなかった
ならなぜ
 
ぼくは彼の遺体ではない
18にして名前が変わったということがぼくにどれほどのアイデンティティの変更を迫ったのかぼくにはよくわからないが、少なくともWKという人間はこの世からいなくなった。KKというのが今のぼくである。この名前の変更はぼくが望んだものではなく、勝手に天から降ってきた災難で、これだけはぼくは反抗しようとおもったけれど、面倒だったのでやめた。だけど、結婚とか、自分が直接かかわるのではない理由で名前を変えさせられるというのは、とくに18なんていう、第一次アイデンティティが完成したあとに、変えるということは、大学時代という、高校時代のアイデンティティとはまたぜんぜん違う第二次アイデンティティとも呼ぶべき自己形成期を迎えるにあたって、あまりにも大きな外乱なのではなかったか、ぼくはWKという人が死んだことにした。少年は18前後で死ぬつもりだったのだから。ぼくはその数え方でいくといま7歳ということになる。その間ずっと欝で、ずっと自殺願望を抱いているという悲惨な7歳ということになる。でもぼくは彼の遺体ではない。彼へのレクイエムは書き続けているけれども、ぼくは彼ではない。彼の恋人はぼくの恋人ではない。ぼくはぼくであるからぼくはぼくである。7さいのぼくに父親はいない。生まれつきいないのだ。
 
こういうことでいつも混乱する。銀行から7年間ずっと旧姓で通知が来る。講座の名前を変えるためにはたくさんの書類が必要で、たくさんの時間が必要で、銀行というのはこれだから嫌いだとおもう。戸籍を見せれば名前の変更なんてすぐにわかるじゃないかとおもう。死んだわたしの名前を見るたびに私はすこし動揺する。そのヴァリアントをHNにしている割には。
 
私のあたまにもインテルが入っていればいいのに。2ギガヘルツの回転でこんな問題をすぐに片付けてくれればいいのに。