circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

かなしみは遠くある  めをつぶる  届かない 届かない  「世界の終わりから帰って来た、この世を救うために」  ちがうちがう  この世なんて誰にも救えない  僕は世界の終わりに行くにはまだ青すぎるというそれだけのことだ  本当の絶望を僕はまだ知らない  たぶん  まだまだ知らない  絶望のふちにいてまだ生きようとする人たちがいる限り僕は死ねない  簡単には死ねない  僕の残り少ない好奇心が一番そこのほうで4つほどの問いかけをしている(それぞれまったく関連がなく方向性はめちゃくちゃである)  1.どうして音楽はこんなに美しいのか  2.どうして女性はこんなに美しく同時にある種の男性はそれを美化してしまうのか(「狭き門」の主人公はあの後どうやって生きていけばよいのか)  3.どうして一方で食べ物が捨てられ一方で人が飢えているのか  4.どうして戦争が起こるのか(それはフロイトアインシュタイン書簡でフロイトが言う根本的な人間の攻撃的本能なのか。戦争は決して防げないのか。誰にでも攻撃的本能はあるのか。そしてそれはかならず集団となれば戦争に結びつくのか。戦争好きな人たちをまとめて月に飛ばして月で戦争してもらえないか。などというと戦争を好きな人などいない、戦争は手段だという声があがってくるだろう。では何の手段だというのか。土地の防衛か。それ以外の戦争を僕は余り知らない。勉強不足。もし土地だというのならばもとからゼロサムゲームだ。ゼロサムにぶち当たったとき「人間」がやるべきことは奪い合いではなくて(それは動物の行動だ)配分のはずだ、たぶん。でもそれが出来ないとなれば理性ではなくそ攻撃的本能に基づくもののはずだ。人間から攻撃的本能を奪い去ることは出来ないのか。芸術にその力はないのか。何かにその力はないのか。そのへんについてあの所管ではフロイトは諦めていたように思う。)  こうしたどうしても僕にとって不可解な問いが存在する、それは僕とはあまり関係ないものも含まれているが、ひょっとすると関係してくるかもしれないものも含まれている。  この世に生まれて一度こういった種類の疑問を持ってしまったからには、なにかしら自分なりの答えを出すまで諦めないのがあるべき姿ではないのか。