circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

ジャズエイジとしてのすくりゃについて掘ると同時に、僕の、ローマで無料でもらったCDで初めて発見したすくりゃ四番、ぐるぐると、恋人とローマの夜に聞き続けたそれ、が、うつのスタート地点近くに、、町がいなくある、わたしを、誘引する、なにかが、あったのだと、思う。ショパンに、ラヴェルに探していた、寂寥の果てに、人間の感情とはちがう、光としか言えない、でもこれは知っている。「光子を回す」という感覚。そしてさらに、輪廻転生、豊饒の海の世界のソナタ三番があり、たぶん、ショパン三番とバイパスで直接つながっている、宿命感覚、ある種の悲劇的な歴史感覚、についても、片付けなくてはならない。たぶん、わたしの鬱とすくりゃははげしくつながりあっていて、それを弾きほぐさないと、わたしはどこへもいけないのだ。