circustic sarcas

Diary of K. Watanabe


「無調」と「無意味」は違う
無調音楽を言葉で真似しようとするときに陥る失敗はたとえば12音技法のように全てのひらがなの出現確率を等しくしてさらに既成の文法を無視して(いや、意識的に避けて!!)ものを書いたときにそれがまったくのナンセンスになりかねないつまり機械がランダムにならべたものと変わりなくなってしまうことであるそれをわたしは「無意味」と呼ぶ
さて
無調音楽に感情はないか?
無調音楽に意味はないか?
そんなはずはない
そこには叫びがある!
そこには愛がある!
そこには憧れがある!
そこには人間がある!
詩が無調音楽に憧れたとき、手法のみを無闇に模倣するならば先に述べた理由によりそれはただの「無意味」になる
既成文法や既成文体に囚われず/(いやむしろ)囚われないことによって
より大きな叫びを上げること
より大きな愛を叫ぶこと
より大きな憧れをうたうこと
より人間らしく存在すること
はどのようにして可能なのか
それよりなぜ私は詩のことを語っているのか