circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

語尾、についてgenfoに書いた。もう一つ、どうしても忘れられない音楽。
http://www.rondz.com/poem/poets/23/pslg22315.html#22315
彼の詩を、怖い、と思う。理由はわからない。畏怖の意味の怖い。到底、届かない強度。意味が分かるかどうかといえば、分からない。だけど感じる。「ならば」がすごいし、「パーティの全滅も近い。」の響きもだけれど、いったいこの断言からなるだけではなかろう強度は、たとえば詩人の特徴といってよかろう行の文字数合わせ(文がそこで終わるわけではないからアンジャンブマンといっていいんだろう、それは、でも意味上において無意味ではなく、そこで改行、ということに何かの意味がある)から来るのだろうか。最後の「そこにだれがいなくてもかまわない。僕たちの内の僕がいなくても。ふる雪に濡れて凍えなくても。この冬がなくても。」という音楽の強さはいったい何なんだろう。僕たちの内の僕、という表現の怖さや、凍え自体の否定(あるいは意味は否定でないのに音楽としてもはや狂った否定が来ているのか)、さらに冬までも否定していく、意味的な崩壊の中で、音楽ばかりは美しくなっている、それがそのまま出されていると思う。いったい、何なんだろう、と驚嘆するし、その驚嘆を友人と二人でときどきむかし話した、それをそのまま一度文章にしようよといったまま、約束が果たせないでいる。