circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

すなおに言えば、力尽きるし、
すなおに言わなければ、先が読めるし、
言いたいことは一つだけ。それは、
何もない
あるいは
私が生きていたことの意味はなに
すなわち
何もない
(下らない)


「わたしの生きていたことの意味」を残すためではなく、何にためかに、恐ろしく美しいものを残した人たちが、自分から死のほうへ歩んでいく病気があるのだと思う。わたしはその病気が憎いし、わたしがその病気でないことも憎い。わたしは無条件にわたしを愛しているから、わたしの口振りは美しくない。わたしの口振りは美しくない。わたしが美しいと思った人たちのすべては口振りに過ぎない。あなたの口からそのことばが でたという事実だけをわたしは愛した。わたしはわたしの口からでた言葉のリズム・色・音楽をこれっぽっちも美しいと思わない。意味が蔓延している。あるいは意図が、あるいは意志が、あるいは文法のしがらみが、五七五のビルトインリズムが。わたしの音楽は何だ、わたしの偏愛は何だ、そんなものはどこにもない。何にもない。わたしは意味に満ちていて、その意味はたいして深みのないメッセージだった。愛したい。愛されたい。人類を愛したい。戦争は止めたい。飢餓はよくない。いつだって、子供の時だって、おとなのときだって、ずっとそう思ってきた。そして、そればかり言っていた。そこには音楽も、リズムも、迫真性も、何もない。ない。何もない。わたしはわたしの言葉を絶望的に愛していない。



かつて書いたものを一通り読み直して、読む価値があるものは、くるっていたときに書いたものだけだった。死にたい、ということばだけが、ほんとうのようだった。死にたい、とおもいながら、屋上を雨に濡れながらぐるぐる回転して踊っていたときに見えていたものは、いま正常な精神で読み返したとき、なんらかの価値はあるように思われる。しかし、それすら大したものではない。もっと狂った人がたくさんいて、もっと素晴らしいものを書いた。その犠牲を僕なんか以上に、激しく払いながら。(芸術はペイしない。圧倒的に。)