circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

ても
[接助]《接続助詞「て」+係助詞「も」から》動詞・形容詞と一部の助動詞の連用形に付く。ガ・ナ・バ・マ行の五段活用動詞に付く場合は「でも」となる。
1 未成立の事柄を仮定条件として述べ、その条件から考えられる順当な結果と対立する内容の文へ結びつける意を表す。たとえ…したとしても。「失敗し―あきらめはしない」「煮―焼い―食えない」

大辞泉 より



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未成立の事柄を仮定条件として述べ、その条件から考えられる順当な結果と対立する内容へ

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美しい


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「信じて欲しい この世界が嘘でも」


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セカイ系と言われる系があったとしてその中で一番美しいフレーズ。


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この世界が嘘(だ)、という「未成立の事柄」を仮定条件としてその条件から考えられる順当な結果は、この世界に含まれる僕も信じてはならない、だろう。しかし、それと対立する内容である、信じて欲しい、を言っている。わたしは、これを嘘の世界にも一部(例としては僕という)真実もあるのだ、という論理ではなく、あるいは、嘘だけど信じるべきだ、という論理でもなく、僕は世界外のそんざいであるという論理ではないかと踏んでいる。世界中が君の敵になっても、僕は君を守ってみせる、というのと同じ論理。世界対君と僕。これを、敵という言葉ではなく、嘘という言葉でつづり、味方でなく、信じてほしい、という言葉で書いた。嘘、にも、信じて、にも、心に刺さる

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いま羽ばたいてゐるのはあれは あれは うそなのだよ.

(立原)


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あれは あれは と二度言わなくてはいけない理由は、うそという言葉を簡単に言えないからな気がして、うそという鳥の、語源は口笛のうそだとか、でも、うそぶく嘯くという言葉が、嘘から来ているのか、口笛からきているのかよくわかっていないようでもあり、わたしは、「いま」羽ばたいて「ゐる」それが幻影のようである(君とそれを見つめているこの美しいいまが、かもしれない)、ひょっとして、ひょっとしてあれは(これは)うそなのではないかしら、といういみがはいってはいないだろうか。(本当だとするには美しすぎる)

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http://www.rondz.com/poem/poets/23/pslg22315.html#22315
尊敬するOQさんの詩を、こんなふうにかんたんに触れることは許されないと思うのだけれど、

山頂に着いたら、みんなで鍋の前に並んで、蛤のみそ汁の匂い
で充ちた湯気に鼻を温めよう。そこに鍋がなくてもかまわない。そこに蛤が、
みそが、湯がなくてもかまわない。そこにだれがいなくてもかまわない。僕た
ちの内の僕がいなくても。ふる雪に濡れて凍えなくても。この冬がなくても。

山頂に着い「たら」、とあるのは、ても、の逆に、ある仮定条件が満たされたときその条件から考えられる順当な結果を述べていて、鍋の前に並ぼうとき言っているのに、早速、鍋がなく「ても」かまわない、といわれてしまう。鍋がないなら、順当な結果としては困るはずである。代替案があるのか。ところが代替案どころか、蛤、みそ、湯さえなく「ても」構わないのだという。そこからさきは恐るべき「ても」のたたみかけがつづく。前提条件だと思っていたものがなぎ倒されていく。ついに「この冬がなくても」という、冒頭で冬支度を始める話だったのに、その前提すら疑いはじめている。最後にはこの詩の舞台を、世界を、「ないもの」として仮定し始めている。なんという漸進、なんという強度だろうか。かれらは無事冬を越えられたのだろうか。軽々しく言うのもなんだが死と隣り合っているのではないか。


僕の自殺行、という、とてもつよいつよい題名の詩があって、
http://www.rondz.com/poem/poets/25/pslg24462.html#24462
題名をずっと忘れられないでいるのは、たぶん、切実さというか、切迫感というか、ても、ても、と同じ、刃を突きつけられるような、ハッとするような、OQさんのお徴のような。