circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

不安は、不確定や、不安定から来るのだと思っていたけれど、最大の鬱は安定して先が見通せるその先が暗いトンネルのままであることではなかっただろうか。トンネルが見えたとき、立ちすくめばあとはそのまま閉じ込められてしまうか、運が良ければトロッコがゆったりといつまでも続くトンネルを進んでいく。ときに、脱線してみようとする人たちがいて、トンネルの壁に見えていたところにぶつかってみると通り抜けられたり、あるいは鶴嘴などをつかってトンネルの壁を破ってみれば思わず外に新しい景色が現れたりして、有り得ないから無理だと思っていたことが、できることがあるかもしれない。出来るならば既にやっているはずだという内面の声には、そちらへ振り向かせない悪魔がいるからだと答えて、できる範囲で少しずつ進んでいくことしかできないのではないか?人生に対する漠とした不安は、もしそれが不確定性からではなく、絶望的な確定から来るのであれば、計算された不確定性を、怖いけれどもこれなら踏み出せる量を、少しずつ導入することしかできないのではないか?