circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

ドビュッシーペレアスとメリザンドを見た。メーテルランク。メーテルランク。メーテルランク。


謎が謎のままで、偶然に揺さぶられる(許される)まま殺されたりしんだり、若い娘の生気を吸ったかのように王だけ生き返って。


どこでもない話が欲しい、とドビュッシーが願い、ペレアスに夢中に、という話はとてもいい。どこでもない、でもそれは何処かにある。交わらなかっただけだと思う。そこで踊っている娘と私の。


20世紀当初、コンサート会場から専用回線が伸びて、ホテルの「テアトロフォン」のブースで人々はコンサートを同時に聞いていた。この新発明を通してペレアスを聴いたプルーストは、思った以上のものだった、と感嘆して実演にも足を運ぶ。私はむしろ、テアトロフォンというものに、遠い音を聞き取ろうとした人々の背中に興味がある。ホテルの片隅のブースで。あるいはブルジョワは自宅で。どこでもない劇を見る。


メーテルランクはドビュッシーに好きにしていいよと言ったが、七年たってようやく上演という段になって愛人にタイトルロールを歌わせろと強硬に主張、というのが面白い。愛人!そのころのメーテルランクは一場の夢の人、どうにもならない世界の、だと思っていたけど、ぜんぜん記憶違いなのかもしれないし、相変わらずフランスはあまりに遠い。