circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

3・12
「たいむましん」は、未来にできるのだろうか。だれもが持つ、一つの夢である。しかし、逆に考えると、未来、「たいむましん」ができていたら、もう、ぼくらの時代にも、来るのではないだろうか。
そして、未来の文明を、この今の世に残したら、その後の未来の文明は、この今の世に文明を伝える前の未来より、もっと優れた文明を開けているのではないだろうか。しかし、もし、タイムマシンができるわけがないのなら、そんなに、未来の文明も開けていなくなる。だから、タイムマシンを、早く開発して、今の素晴らしい文明を昔の今に伝え、今、今をもっとすばらしくできるからして……長い論文になりそうなので文を終わる。
(注:自分ではこのアイディアを思いついたのが天才的だと思っていた。未来人が未来人が生きる今をもっとよくしようと思えば、タイムマシンでその文明を昔に伝えればいい、それをしないのはタイムマシンができないからだ、という理論。)