circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

リリー・クラウスシューベルト即興曲D.899-2が頭の中を突然流れ始めて、あの細かい歌い回しを思い出すとき、多分わたしは誇張しているのだけれど、あの素晴らしい録音があればどうして他の人たちは未だに演奏して、録音しているのだろうという疑問がいつも通り襲ってきて、演奏行為自体に対する無為な感情に飲み込まれてしまう。美がそこにあるのに、もう振り返られることはなく忘れられていき、新しい演奏家たちが産まれていく。解けない問いである。日本人が西洋音楽をやることの意味以前の問題だと思う。D935-2についても、リリーがやったこと以外にやれることが残っているのだろうか。