circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

ムソルグスキーのじんせいのことをかんがえる。
友人の死と、離れていく周りの人たちと、夢につかれたように遅い筆が走って、追悼としての、展覧会の絵。「死者との死の言葉での会話」というような曲が挟まっていて、そこだけ、ドビュッシーを通り越えてメシアンが聞こえる。本当に、第ゼロの眼差しとして。ジャズの響きさえする、低音の五度の美しさと言ったら。