circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

また、神話に毒されているだけなのかもしれないけれど、今更になって、彼のことをずっと考えている。
https://www.youtube.com/watch?v=OwNPBYyz4eY
15:04から聞いてみてほしい。
はじめて、ノクターナルを素晴らしい曲だと思った。これは、とんでもない曲だと思った。それは、この演奏でないと感じたことはなかった。ブリームでさえ。
終結部、30:15付近から、あんまり美しくて泣きそうになる。くうかんということをこんなにも正しくまた美しく把握している音楽家はなかなかいないし、日本人がそれをしているということの稀さと言ったらない。正直に、びっくりした。なんということだろう。


無調の夜のトンネルを越えて、ダウランドの有調の嘆きの歌が現れる。なのにそこで歌われるのは死だ。それを最も美しく演奏した人が、犠牲なしでいられたはずがない。美しさのために、犠牲を支払ったひとのことは、尊敬せざるをえない。あぶないのに、ひきかえさなかった、引き返せなかったのだろう、と思う。わたしは、才能がたりないから、ひきかえした



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そして、夜を抜ける。無音の、長い長い記憶喪失の果てに(すべてが横線であればいい)。沈黙、、、そして夜を抜ける。光を待つために、ではなく。2度死ぬために。人でないものが、木が、時間の通りに流れすぎている。畳に座って、川の流れを見下ろす。僕たちは絵をかいて置いた。記憶の記憶のために。夜を抜けた。それだけが墓に記されればいい。夜を抜けた者、ここに眠る それがいい。