circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

門外漢だからいうけど、にいがきさんがいう、現代音楽を真面目に勉強していたら、こんなものは簡単にできる、というのが、やたらショックで、かんたんにつくったあれがそんなにいいと思わない一方で、ラヴェルのトリオ、マラルメ歌曲方面とか、コルンゴルト別れの歌、ピアノクインテット方面とか、スクリャービンの行っちゃう前の40、50番台のあたりとか、調性音楽も取り残した世界がまだまだあって、そういうの、ちょちょいで作れるのだったら、ぼくも発注したい笑、とおもった。一番の三楽章後半をきくかぎり、和声に毒がないな、と思ったの。それは僕がドイツじゃなく、スクリャ含めフランス寄りだからかもしれないけど、でもコルの夜のキラキラはなんなのさ。あと、スウェーデンのなんとかさん?交響曲15書いた人?きいてみるかなあ、とは思ったの。おおのさんはあきらかにおおともさんにけんかうってるのがおもしろかった。ほそかわとしおさんは、演奏家まで非難してて、そりゃないぜと思った。だめな曲からすこしでもすくい上げるのが演奏家の役目でしょうに…そして現代曲なんて十中八九は駄曲でしょ。確率論で、昔から。全部名曲なら全部残ってるよ。だから駄曲も演奏し続けないと、誰も作曲しなくなるよ。駄曲もふくめて弾き続け聞き続けるのが音楽の仕事でしょ。そりゃ批評家も間違うことだってあるよ。そんなこと言ってたら映画評論だってころころ変わってるよ。で、怖がってすべて貶してればいいの?安全パイだけ褒めてればいいの?てなる。全部分かってから、批評家や演奏家を責めるってことは、逆に音楽の土壌を貧しくする、という論理がひとつこのように形成されるだろうとは思う。コンサートで、いいな、とおもった若い演奏家や、若い作曲家を、もっとほめたり、支えたりしなきゃな、と思った。あとうのこうほうさんが今回の件、最初から酷評と聞いて、わあ、と思った。読まなくちゃ(うのさん、いつも、文学として面白い。音楽の好みは、だんだん遠くなったけど、、、