circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

くだんのシンフォニー一番、最後だけ聞いて、あー、全部聞かなきゃ発言許されないの?にしても、こりゃなんの毒もない…と、曲自体を聞ける状況の私は思うのだけど、暴露以前に、現場にいて、あの今日今日もふってた指揮者さん(きらい)が両手を力強く震わせているのをみて、ぼくはこの人には動かされないけれど、もしそこに立っているのがレニーなら?と反省し、レニーのふる元ネタといわれるらしいマラ3ウィーンフィル、これもつべ落ち、をみて、マラ3あかんな、という斜め方向の感想しかいだけず、そんな結論… 大地とか、6番とか、9番とかと、ちょっと比べられない感じ。一回でそんなこと言わない方がいいと思うけど。でも、もし現場にいたら、泣いたかもしれないし、くだんの曲をレニーがふって、そこにいたらやっぱり泣いたかもしれない。それは、作曲家じょうほうぬきでね。後期ロマンを指揮者が力強くふる、そこを祝祭空間にする、という意味で。わたしがショスタコーヴィチを擁護するのも、やっぱりコンサートで、泣いたからなんだな、泣いたことには、責任を持たなきゃいけない。指揮がすごかったんだけど。すべての指揮でそうなるわけではないの。あれ、だれだったっけ。