circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

シェーンベルク以降がわからかったわたしも、戦争で捕虜になって、収容所に入れられて、そこでメシアンの時の終わり初演を聞いていたなら、一発で全てがみえたにちがいない。クラシック音楽、という言葉の定義が曖昧で、どのように呼べば正しいのかわからないのだけれど、そういった、純粋音楽が、現代と共時性をもつのはどういうことが必要なのかなあ、と思う。作曲家のひとたちに、ドミソってかいたらあかんの?と聞いて、みんな論理的なことがなにも言えなかった、という話が、水曜の夜にともだちと久しぶりに話したクライマックスだった。