circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

すべては私の投射だったのかもしれない、たとえば卑下のなさ、という言葉の中に、他人への卑下も自己への卑下も含むのだけれど、生身の人間であれば誰しもが片鱗があるか猫を被るにおいがあるかなのに、そこになにもなかった、純粋に感じ良かった、と感じたのが私だけであるならば、私がそうありたいという形のヒントがあったはずだ。存在形式として、とてもつよく。