circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

小学五年だか六年だかのとき、わたしはダジャレ道(どう)なる概念を提唱し、それは、友達の名前でダジャレを言わない、人の匂いについて言わない、人が傷つくようなダジャレを言わない限りにおいてどんどんダジャレを言う、というもので、それに賛同しようがしまいがダジャレばかり言う倶楽部が三人ほどいて、もう作品を残念なことにほとんど覚えていないのだが、ぼくのものではない三つ、

明智光秀、だんごくれ!あー!けちー!三つ?!ひでー!

車がくる!まぁ!

鏡を蚊が見る


については時々思い出す。とくに助詞一つを挟んで繰り返す構造は優れたものと評価していたが、最後の蚊が見るやつは、たいして面白くないと思っていたものの、こう、大人になっていろんな風情とか含め考え合わせると、なかなか詩情があってよい。鏡と蚊しかいない風景。