circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

残念な方向に行った作曲家としてのジョージハリスン、などというと、ただでさえ少なめのプールにたくさん敵を作りそうだけれど、

ビートルズの音のなかで一番新しい響きがしている、と思うもの。このびりびり言うギターは本当にかっこいいと思う。どうして、どうしてジョージの曲をビートルズはもっとやらなかったのか。どうせジョンは録音に参加してないんだから、ジョンが死んでから再結成を考えたときにジョージの曲だけやればよかったのに。ジョンなしでどれだけ美しい曲が作られたか、たとえばhere comes the sunなんて。たとえばこのall too muchを聞いてみても、ポールという重みがなんとジョージに必要だった事だろう。この冒頭のギターも、ベースも。2:22のソロも。ビートルズに時々現れるDavid Masonのトランペットも、ポールがある日イギリス室内のバッハブランデンブルク組曲を聞いていなければここに参加していないわけで。それに5:09からラ#からシへずり上げて歌っているのはジョージ本人じゃなくてポールのはずだ。そしてこれがなければこの曲の魅力も半減するようなものだ。一方でカラオケとYTで評されるタカハシさんのカバーを見てみよう。ポールの重みというものがこの曲でどれだけ重要かみてとれる。もはやすこし笑えるかんじであるが、これもタカハシファンを敵に回すのでこわい。

それにしてもこの曲の一番重要なits all too muchという言葉のシンコペーションをのっけから総て塗りつぶすというのはどういう思想なんだろう。