circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

いつもはすみ先生は(ほかの監督が映画の伝統を引き継がないことを批判する際に)コーンゴールドという伝統をきちんと引き継いでいる点ではルーカスを持ち上げているのだけれど、いつだれから聞いたのか読んだのか忘れた都市伝説なのだが、はすみせんせいが東大だか立教だかの授業で、コーンゴールドの動機のやりかたを引き継いだルーカス=ジョン・ウィリアムズのすばらしいスターウォーズの音楽に耳を傾けましょう、といって流したのが「スーパーマン」で、学生たちはおそらく笑いを堪えながら、はすみ先生がまじめな顔で聴いているのでだれも突っ込めなかった、というほほえましい話がある。きっと素で間違えたに違いなく、実話ならほんとうにすばらしいな、とおもう。



とはいえむしろホルストよりも、スーパーマンを聞くと思い出すのは、(彼のことをほとんど知らないが)同じくドイツを追われたヒンデミットがむしろアメリカでアメリカらしいかっちょいい音楽としてSymphonische Metamorphosen über Themen von C.M. von Weber 4楽章を書いているということに僕はものすごく興奮を覚えるわけで、4:28〜、スーパーマンとおもうのは6:15

ユダヤ人の音楽をユダヤ人指揮者がユダヤの国のオーケストラで彼の人生の最後に全力を振り絞って振っているこの演奏に僕はアメリカという国の僕にとってのアメリカの光を見ている、見てしまう。むしろバーンスタインと言う人は僕にとってファインマンと並んでユダヤ人というよりはアメリカそのものを体現した二大ヒーローであって、彼が一番輝いたのは人生の最後の時期に振ったマーラー9番とマチス変容だったんじゃないかと思っているのです。聴け、8:09の短すぎるルフトパウゼ!この前のめる一瞬の短さこそバーンスタインと言う人だと思います。

(追記:いま思い出したら、はすみ師がまちがえたのはインディ・ジョーンズだったかもしれない。それにしてもJWはすごい人だなあ。メロディメーカーとしても、わくわく感の人としても。カステルヌオーヴォ・テデスコもそういえばわくわく感あるし、テデスコ経由のアメリカ像、ということについてもJWを通して考えなければならないのかもしれないし、なんだかJW重要人物だな。余り興味ないけどな。)