circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

事実関係については深く調べていないが、オペラに対して非常に否定的で、日本にオペラハウスをつくるということにたいして懐疑的だった彼のなまえがいま、日本で一番権威あるオペラハウス附属(!)のコンサート会場名になっていることは非常に皮肉なことだとおもいつつ、たけみつはその人生の最後にオペラを作ろうとしていた。まずは大江健三郎との対談「オペラを作る」があり、そのなかでは大江の「治療塔」を(それはまさにオペラのためにいま書かれつつある小説で)、谷川俊太郎の台本でオペラにするというもので、しかしそれがどうなってしまったのか、彼の死の前には別の案になったのか、もうひとつの文脈では娘さんが、「ロック歌手を出すシーンではポールマッカートニーになんとか出てもらいたい」と父がいうのを聞いて、「いまどきポールはないでしょ」と思った、と書かれているのだとか、(それにしてもかれはどうしてもジョンではなくポールばかりこのんでいて、なぜだろうか、驚いた事にギターのための12の曲のなかのビートルズ4曲はすべてポールだ、僕のすきなジョージなどきっと、、、)いろいろな記述を見たなかに、僕が読んだ記憶のかぎりでは(くりかえすがちゃんと深く調べていない)、ダニエル・シュミットが演出する形でのオペラを書いていた。(そしてその途中で終わったものをほかの作曲家がひきついだかひきついでいないか、だがそこにはまったく興味がない)
ダニエル・シュミットの名前ははすみ師との対談「シネマの快楽」の一章分となっていて、たけみつはそこでシュミットを絶賛しているのに、わたしはシュミットを「ヘカテ」と「トスカの接吻」しか見ていないうえに、いい印象をもっておらず、いつもいつも見たいと思っている「ラ・パロマ」は1本だけおいてあるツタヤ新宿かツタヤ渋谷かどちらか忘れたが行くたびに借りられていて、最近もういちど両店にいったらケースがなくなっていた。「今宵限りは・・・」も。せめて大学にいっている間に、大学図書館にあるかもしれないから調べておかねばならない。月曜日会社を休むことにしたので、いこうかとおもう。
いかにシュミットにほれたかは、次の一文でわかる。彼がこんなにも(とくに音響設計について)絶賛しているのはエリセ(とタルコフスキー)を除いてほかにない。

たけみつ:五十年代のアメリカのミュージカルとは、音楽の使い方がまるで違う。違うだけじゃなくて、シュミットの音楽の使い方は、「天使の影」にしても「ラ・パロマ」にしても、決してコピィができない、二度と同じ事はできない使い方なんですね。これは、音楽である映画、映画である音楽という<音楽=映画>だと思うんです。僕などのように映画音楽の仕事をしているものの立場からすれば、こういう映画をつくりうる監督に対して、なんともいえない妬ましさ、羨望を感じるわけです。

読めば読むほどみたくなってくる。

たけみつ:山の上のデュエットのシーンひとつとっても、もう、ほんとに面白くて、痛快と言うか何というか、言葉がないですよ。

この山の上のデュエットのシーンは本当にすばらしいもののようで、はすみ先生は「映画 誘惑のエクリチュール」の表紙をその写真で飾っている。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480025029/

そしてもちろん一章まるまるシュミット論にあて、そのなかでこのシーンを論じてもいる。

沈黙する画面こそ彼の得意とするところだと確信するとき、音楽が高まる瞬間こそが真に彼のものだ、いや台詞が交わされる情景こそがもっとも彼にふさわしいのだと確信をもってつぶやかせてしまう何かが、そのフィルムの表層を甘美にくるんでいるかのようだ。だが、その甘美さが感傷や郷愁へと滑り落ちそうになる一歩手前で、ダニエル・シュミットは見るものを現在へと向けて解放してくれる。その現在がいかなる相貌のもとにわれわれの前に迫ってくるかをシュミットとともに考察してみたいと思うが、もうその余裕がない。いまはただ、マイケル・カーティスの「ロビンフッドの冒険」でオスカーを得たエーリッヒ・コーンゴルドがウィーン時代に作曲したオペラ「死の都」の二重唱をアルプスの山頂をバックに歌う「ラ・パロマ」のペーター・ケルンとイングリット・カーフェンの美しさを賛美しよう。

少なくとも、コルンゴルトの死の都と、嵐の青春、ロビンフッドあたりの音楽はたけみつの耳に届いている、どころか、かなりきおくのふかくに届いている、ようではある。しかし5重奏までは、たぶん、行っていないのではないか。
ダニエル・シュミットは(たけみつとはちがい)オペラが大好きな人だったようで、多分若いときどこかで死の都を聞いていたのだろう、そして、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88
いま私が気になっているのは、コルンゴルトが「ヴィオランタ」という作品を書いたということを知ったときに、なぜかその名前をなぜか聞いたことがあったような気がして、いま読み返せばそれはダニエル・シュミットの作品の名前であるということで、でも、ラ・パロマにおいてコルンゴルトを用いた彼はヴィオランタにおいてはおそらく使っておらず、あらすじも違っているので、それは、偶然なのか、偶然でなくなにかの交通がそこにあるのであれば、たけみつとシュミットが作るはずだったオペラの構想の中で必ずコルンゴルトの名前が交わされたはずだという、妄想なのであります。