circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

まだ、金曜日に聞いたNakaeさんの声が頭の中を響いている。Was Du mir bist が本当にすばらしい曲なのは知っていたし、知っている何倍も美しい演奏だった(僕がオッターのCDをどれだけ愛しているか、僕は知っているでしょう?)けれど、それにもまして、Mit Dir zu schweigenがなんと美しい曲だったことを知ったことだろう。フリー録音を探したけれど、見当たらない。
http://www.classicalarchives.com/work/490496.html
この下のほうに、1分だけ聞ける。こういう和音(0:33!!)をかいていたときのコルンのことを考えると胸が苦しくなる。夜、夜の音楽だと思う。こんなに静かな夜が。


コルンのことをどうしても、



美しい人を美しいというのは、映画を映画だと言う事と、ほとんど同じで、なぞりなおす事しかできないのに、人についてはなぞっている線はきっと虚像なのだと言うこと。


こんなに静かな夜が、ナチスがウィーンに触手を伸ばしてくる中で、30代前半の彼にあった、WWIとWWIIの間の事を考えるとき、もうコルンの音楽のことを思い出さずに考えることは僕にはできないだろう。いっときの美しい時代。後れてきたひとりだけのセセッション。ナチスから逃れる前に、ウィーンの段階でコルンはつまらなくなっている、という感覚をなんとなく僕は持ち始めていて、こわい。アメリカがだめにした事にしたい。作品番号でいうと20番半ばできれいな分水嶺がある。分かりやすいことしかかかない事にした、不健康な夜はさようなら、という訣別の文がそこに掲げられているかのようだ。そこでクリムトの星星はハリウッドの星星に変わっている。