circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

前書き


この世は「いつわり」でうめつくされています。
「いつわり」イコール「うそ」ということです。例えば、作文。
遠足の作文をみると、「楽しかった。」「うれしかった」「よかった」などの言葉があふれています。
しかし本当にそうでしょうか。


物事、自分の思ったことをズバリそのまま書くのが作文だと思います。(物語をのぞく)
でも、遠足の作文だったら、「いやだった」「おもしろくなかった」等の言葉はぜんぜん入っていない。本当におもしろくない、ということはない。といいきれるでしょうか。
「言いきれない」
と95%の人は言うでしょう。
残りの5%の人は、まず、すばらしい幸せ者です。その95%の人へ言います。「それが、いつわりを作文に書いていることだよ。」と。
しかし、95%の人々の、これまた50%ぐらいの人は、
「そんなこといったって、『おもしろくなかった』なんて書いたら、おもしろい作文になりゃしない」
それは、言われればそうですねえ。ぼくも、作文を書くときは、いつわりだらけで書きます。
もし、本当のことばかり書いたら……これはおもしろそうですね、やってみようじゃあーりませんか。
ということで、この「自由作文」を書こうとしたのです。これはあくまでも、「日記」ではありません。その日、思ったことを好きなように書きます。
どんなことを書いてしまっても、ご了承願います。


(後記:よほど小学校における作文というものが偽善的に思えて仕方なかったのだろうし、楽しくなかった遠足の作文を、それらしく楽しかったと書かなければならなかったことが苦痛だったのだろう。どちらにしてもへそ曲りなところは変わらないなあ。)