circustic sarcas

Diary of K. Watanabe


1890年代のイギリスで高揚してきたデカダン派の感性の全体像を眺めようとするとき、残念なのは、ピムリコにあったビアズリーの家の有名な部屋について、当時の人たちが抱いていたイメージが欠落していることである。部屋は、ユイスマンスの『さかしま』から知的な刺激を受け、小説に描写された全体像に従うような形で、ビアズリー自身が装飾を施していた。幸いなことに、不動産屋が家の明細を記した書類(元来は、1895年に土地建物を購入したミス・プーの書類の中にあったもので、その後家に残された種々雑多な品とともに、彼女の家族の一員が引き継いだ)で、従来の記録には載っていなかった証拠物件や、画家自身が書いた1,2枚の素描が、部屋の様子を思い起こすのに必要な手がかりを与えてくれる。ビアズリーはさまざまな点で1890年代の感性の典型であり、全くたぐいまれな人物だったので、当然のことながら、デ・ゼッサントの部屋の構想を正確に理解していたと思われる。デ・ゼッサントこそ、その時代の特徴をもっとも端的に表す作家ユイスマンスが、自らの小説の中で、時代に先行する形で創造した人物だった。したがって、ビアズリーが旧友エイマー・ヴァランスに依頼して、部屋の壁をシャトー・ド・ルーを真似て塗ってもらったのは、申し分のない必然性があったように思う。