circustic sarcas

Diary of K. Watanabe


 マイアー=グレーフェの文章を引用してみよう。「ビアズリーの家に行くと、ロンドンでも最高級の、明らかにエロティックな日本の版画を見ることができた。繊細な色彩の壁に、飾りのない額に入れて掛けられ、歌麿の空想が生んだ野性的な作品も、決して猥褻ではなかった。最も離れてみると独特の繊細さがあり、無害であったことはいうまでもない。こうした作品は公けには飾れないので、蒐集している人はまれだった」。しかしビアズリーは、こうした作品を飾っていた。ビアズリーが所有していた最初の浮世絵版画は、ローゼンスタインから譲り受けたものだった。彼は、ケンブリッジ・ストリートに引っ越した当初のビアズリーと親しい関係にあり、『サロメ』の挿絵を書いていた時期には、一緒に黒く塗ったテーブルに座り、並んで仕事をすることがよくあった。ローゼンスタインは、どのようにして「パリで日本の本を入手したか」書いている。「その絵が途方もないものだったので、本を持っていること自体ためらわれた。しかしビアズリーが気に入ったので、本は彼にあげてしまった」。ローゼンスタインが驚いたことに、「次に僕がビアズリーに会いに行ったとき、もっとも猥褻な版画の何枚かを本からはずして、ベッドの周りに掛けていた」。ローゼンスタインの記述で興味を引くのは、問題の版画が、歌麿艶本のひとつにあった春画であった点である。歌麿は大判の美しい錦絵で知られていたが、ビアズリーが飾っていたのは錦絵ではなく、むしろ小さめの白黒の画像であり、この時期の彼自身の挿絵とかなり似ていることが即座に納得できよう。ホルデイン・マクフォールによると、ビアズリーは後に他の日本の版画も蒐集していたが、歌麿に加えて、やはり優れた浮世絵作者として知られる春信の名をあげている。