circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

わたしは耳が聞こえない。夫は音楽家だった。わたしは音楽とは何かをわたしなりに理解しようとしたし、夫は耳の聞こえないわたしを恥ずかしがらずに音楽家の友人に紹介して回った。わたしの声は音楽家の耳には甲高いおかしな声に聞こえるだろうに、そういったことをまったく考えずに、先生や友人に紹介してくれる優しさが彼にはあった。だがもうわたしは彼のことを思い出したくはないのだ。夫とはやく生き別れた二男と三男もなぜか音楽を愛し、長男がアメリカのポップス音楽にのめりこんだのと対照的に(あるいはそれも夫にたいする反抗からかもしれない)、ピアノと、もうひとつそれぞれ別の楽器を持ってオーケストラに入っていた。とくに二男のいちばんの喜びは音楽のようだった。なぜ彼が好きな文学や音楽の道へ進まず、理科へ進んだのか、わたしにはよくわからない。適性があるようには最初から見えなかったのだ。三男は本格的に音楽の道を志し、高校三年のときに音大受験を諦めて、文学部に入った。わたしはむしろそれが二男の辿る経路ではないかと思った。二男は東京に行って、しばらく音沙汰がなくなったが、悪い知らせがないことはいいことだと信じていた。今になって、彼が気付かないままに鬱を抱えて、部屋で寝続け、モチベーションをもてないことを悩んでいたということを、最近知った。なぜ最初から音大を受けなかったのか、とわたしは彼を責めた。すこし考えれば、元夫のせいだということがわかってきた。彼は音楽を諦めて進んだ研究の道でも挫折して、京都に帰ってきた。ただ寝つづけていた。簡単な仕事に就き、暗い顔で通っていた。わたしが自殺の本を見つけたのはそのころのことだった。研究の道で挫折した彼は元夫と連絡を取り始め、わたしは最愛の息子を元夫に盗られたような苦しみを味わった。それ以来彼は音楽と研究の間で揺れ動きながら、どちらにも真剣に関わらないという過ごし方をしている。わたしには彼が大切に思っている音楽というものが、なぜそんなにも諦めきれないものなのか、わからない。わからないからこそ、彼の気持を大切にしてあげたいとも思う。ただ、元夫を見ていて、その道の険しさだけはわかっている。わたしは彼が好きなことをして、自分で稼いで生きていってくれればいいといつも彼に言う。彼は、好きなことが好きかどうかわからない、稼いで生きる価値のある人生かどうかわからない、という。わたしはどうか生きていてほしいと言う。