circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

世界はいつも僕らの外側に少しだけ広い、と思ったことがあります。世界の中心と思っているところに、じつはあこがれはなく、周縁と思っていたようなところに、驚くほど美しい人がいるのだろうと思います。わたしもまた、中心から周縁への転回点に向かって、そのために中心へ向かっていこうとしているのかもしれません。それが失望でありませんように。それが気づきでありますように。

私の知らない世界の果てでこんなにも美しい人たちがいたのなら、私の知る世界の中でどうして死んでしまう必要があったのでしょうか。太陽の下で自分らしく伸び伸びと生きているひとを見て、別に今の場所で頑張らなくていいのかもしれないな、と思いました。今そこで咲かなくてよいし、与えられた場所が違うなら、他を探してもいいのかもしれません。そういうことを、南洋の土地で教わりました。違う生き方で美しい人たちがいたのです。世界は線形ではなかったのです。

でも、投げ瓶は星の光線のたけひごに庇護されて進み、あなたにちがうかたちで届いているような気がわたしはしています。こんなにわたしがいまだにあなたのことをわすれられないということは、なにかのかたちであなたに落ちているにちがいないのです。

わたしは、愛されるという行為によってではなく、すべての存在に透過して遍在する確率変数としての微笑みのような、行為ではない、無根拠の理屈で、愛されているし愛されていたいと思う。それをかみさまとよばせてください。

星の光は注がれる。安らかに寝ている、温かな繭に包まれた、星の息子たちの微笑みの上に。ゆっくりとした鼓動が、光の律動が、透過する遍在の愛が、遠い宇宙から、あるいはかいばおけの真上から、バスケットボールと同じいろとかたちの月から、なみなみと注がれる。

手のひらにひかりをあつめる

ひかりをあつめるあなたのせなかをみつめる

あなたのせなかをみつめるひとびと

みつめるひとびとの視線をれんずのようにあつめる

あつめられた視線がひかりとなり鍵盤へ落ちる

鍵盤から風穴へ空気は流れる

空気はあなたのせなかから、

あるいは重力を集めたゆびさきから、

ひかる筒を超えて場を満たす

光で満たされる

境界線



夜と朝の境界
それで終わってしまう
おもらしして起きて
広がっていくあたたかさの
取り返しのつかなさは
混沌を突き抜けて
境界線をとろかして
ちきゅうをおおって
ふくいくとほほえむ