circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

2週間連続で鬱のねつづけ。
恋人が家にいないとこうなるのか、と思う。
恋人はいまとおいところにいる。


エストロへメールする。


それから延々とGさんとHさんの演奏を聴きつづける。コンクールの動画。Gさんは10代のときからすごく音に敏感に表情が動いている。口元、一音一音を味わうように。でもこの時点で、どちらに1位を渡すか、というのは、この動画を見る限り明白に見える。順位をつけるということにどれほどの意味があるのか。でも。


ちょうど、3位までの3人がノクターナル全曲をひいているものを並べてききつづけている。
https://www.youtube.com/watch?v=OwNPBYyz4eY (15:06-)
https://www.youtube.com/watch?v=iY74itDa-Mw
http://www.amazon.co.uk/Nocturnal-Stefano-Grondona/dp/B00BQBF16U
GさんのものはCD。
さすがに3人ともすさまじい。


しかしH氏のものがやはり、いちばんヤバいと思う。これがこんなに自家薬籠中の物になるということが、おそらく、そもそも彼の支払っている犠牲のおおもとにあると思う。そうであれば、我々は彼がのこしてくれたこれを、何度も聴きつづけるしかあるまい、と思う。これは、直接に、メシアンの時の終わりとつながっているところがある。一台の楽器であの世界までつなげたというブリテンの天才、あとHさんの天才。この、時の果てにおける空間感が必要で。一台で弾いていると一瞬でも思わせたら、負け。
https://www.youtube.com/watch?v=1rzzKztnenQ
34:42-
委嘱者はさすが。ピチカート部分の宇宙観(どうなってしまうかの不安感)はHさんがずっといい。


ブリームという人が、この楽器のために奔走した、という例として、ストラヴィンスキーを一生懸命つかまえて、でもあんまり誠実に向き合ってもらえない感じの動画があって、それでもブリームは一人でタケミツとブリテンにこれだけのものを書かせた。すごいことです、偉大なこと。


ブリーム翁がウォルトンの前で彼のために書かれたバガテルを弾いているものがとても微笑ましい。
https://www.youtube.com/watch?v=Wk4RsE7VJ7I
(「こんなにいい曲だなんてね」?)「でもあなたが書いた通りexactlyに弾きましたよ」「そのとおりだと思うけど、あなたはもっとよく弾いた」「もっとよく(笑」
この愛すべき人柄。人柄と音楽の問題というのは永遠のテーマだけど、ブリームは両方好きにならざるを得ない。



ウォルトンはどうもこの曲を気に入ったようで、寡作の人のようだけれど、(だからこそなのか、) のちにこれをオーケストラ曲として仕上げている。1970年にしてこのばり調性オケというのは...と思うところはある。ギターのほうがずっと魅力的に思える
https://www.youtube.com/watch?v=tT1cTEsx0_0
ラヴェルピアノ曲を彼自身のオケ版で聴くときの残念さ、もっと言えばあの奇跡のような別れの歌曲集(コルンゴルト)の彼自身によるオケ版が、どれだけ悲しいことになっているか。あのピアノと歌の奇跡はどこから来ているのか。
とはいえ、ウォルトンを聴いていて、ああまるでイベールのようだ、地中海が見える、と、おもったら、ウォルトンは後生をあの美しいイスキアで生きたとのことだ。上の動画にも彼のイスキアの家が出てくる。


イスキア。


カプリとは違って、ヨーロッパの北の人たちが、長い休みを取ってヴァカンスを過ごすところ。短い期間動くだけの日本人があまり行くところではない、と分かっていたけれど、2泊のために船に乗り込んだ。やっぱり北ヨーロッパの人ばかり乗っていて、これ、だれかの映画で見たことがあるような、とうれしく思った。泊まったところでは、すべてがおいしかった。特に見るべきものがあるわけでもなく、ショッピングストリートがきれいだったり、海を泳いだり(しただろうか、よく覚えていないのだ)。かえりの日に、ひどい雨が降った。どうしよう、日本へ帰れない、と連れが言って、それも面白かろう、と僕が言った。なぜかずいぶん僕が落ち着いていたのは、もう人生を投げていたのだろうか、日本へあまり帰りたくない気持ちだったけれど、だからといってお金があるわけでもないし、無責任だったということだろう。連れは怒っていた。しばらく待って、船は動いた。
何もすることがなくて、ぼんやりと過ごした3日間だったように思う。鬱の前の記憶はぼんやりしていることが多い。