circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

大学のことを、ではなく東京大学のことを最高学府と呼ぶやりかたは本当に好きではないなと思う。京都生まれだからか、京都大学という四文字は好きだし、だからこそ避けたのだけれど、大学がどこということよりも、ずっと大事なのは素直な人間かどうかだとおもいたい。


日経を開いたら教わった先生が頭を下げているので、すわ悪いことしたのかと思ったら、悪いことをした教授のかわりに副学長として頭を下げているように見えた、が、キャプションには「一礼する」、とあった。会見前の一礼なんだろう、ならなぜこれを謝罪に見えるように載せるのか。こういう、写真による印象の無意識の操作、好きじゃない。いつも、トムピータースの本を思い出す。セクシーって言葉をビジネスに導入したあれ。一回転して嫌いな。あのなかで、だれかの引用、「良いニュースとはみんなを驚かせるもの」絶対にそれは違うと思う。そんな報道まっぴらごめんだ。素直で、正確で、ミーシーであること。それ以外べつに求めることなどない。驚きなど、付加するものじゃない。


先生の教えてくれた数学はほぼ忘れた、そも数苦手、も、覚えていることは二つ、一つは、教材は網羅的に残しておけ、という守られていない教訓、もう一つは、エリートというものは、(外が何をいうとかいう問題じゃなくて)義務感のこと、人よりも働くこと、それは金のためではなくだ、(ノブレスオブリージュのことだろう)という教えで、これまたエリートではく落ちこぼれなので守られていないけど、金じゃなく義務感とか宿命かんこそがエリート意識なのだというのは、なんかいいとおもった、とても。